厳格な人で、創造性という点で祖父は本当に天才だった。
彼は折り畳み式自転車、一種の軽量金属製の競技用自転車、それにいくつもの製作機械を考案した。
6人の子供の父で、まさに一族の長だった。
家族の中では、女性の存在は目立っていた。
母にはふたり姉妹がいて、その母―つまり私の祖母だが―は、娘たちがまだ小さいときに夫を亡くしていた。
彼女は娘たちに物の価値と立派な貴婦人の振る舞い方を教えた。
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それに、私か良い教育を受けたのは、叔母たちと母からだった。
そしてこの家は温かかったが規律正しかった。家の中の半ばイギリス風で半ば第一帝政風の装飾、煌くMのシャンデリア、金の額が付いた17世紀の鏡、1940年代の照明器具の淡い光の下で弟と私が遊んだグリーンの大きなソファとボルドー色の肱掛椅子、そんなものを思い出す。
初期のテレビ放送を見たこの家の大きなサロンは魅力的であった。
幼いころの気晴らしの読書は14、15歳になると映画へ変化していった。P川の増水による大洪水のとき、Vの円形劇場とかMのお城のオペラの公演を見た。
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あのときの状況に合わせた寂しげな音楽が聞こえていた。
デザイナーになるなんて想像もしなかったあの頃、木でできた切妻壁のある小さな劇場で上映されるマリオネットをみたりもした。
そのころデザイナーになって自分のブランドを世界中に売ることになるような兆しは何ひとつとして見あたらなかったが、弟の洗礼の折、濃いターコイズブルーのドレスを着た母の素晴らしい優雅さや、家族の結婚式のとき、叔母のシクラメン色のシフォンのドレスに感動した。
当時、大抵の人がそうしたように、母はミラノの仕立屋で服を作っていた。
前がストレートで、後ろにプリーツが入っていた黒いルダンゴトに、黒いフォックスの毛皮をつけた母の姿をよく覚えている。
もっと楽しいときには、ベージュと赤の花模様のドレスやブルーと白とかのシャツブラウスもよく着ていた。
一番シックだったのは叔母で、紳士服、特に千鳥格子のジャケットをとても好んでいた。